専任アドバイザー
小野 京子
すべての人がアーティスト
表現アートセラピーを知る前は、アーティストは才能がある人がなるものと思っていました。そうでない人は趣味程度にやるか、アートを鑑賞するだけ、と。
ところが表現アートでいろいろな表現をしてみると、その表現が上手下手に関わらず、自分から出てきた表現なので愛おしく感じます。
そして自分の中の真実(光であろうと闇であろうと)を表現したものなので、その作品が、自分の分身であり、気づきのあかし(証)に思えます。自分と関わり、自分と対話したことで、前より「生き生き」と人生が活性化する実感を持っています。
私にとって「アートは、自分と繋がって、内面を外に表し、その結果生き生きする」、これでよいのだと思いました。芸術家という職業はまた別ものと思いますが、素人であっても表現することで生きる意味を感じ、自分について知り、「自分が自分になっていく」道を歩めるんだな、と納得しています。
大学の教員として私が担当したゼミは「自分が自分になるとは」です。自分を知り、自分と向き合い、自分の種があるとしたら、それが成長してその植物になる、花が開花するような、「自分になる」プロセスとはどんなものなのか。時には立ち止まり、時には後戻りしながら、必要な養分を得て、必要な体験を積んでいきながら、やはり種は成長して、前進し、種が持つ可能性を開花させたいと思っている。
アーティストは言います。「アート」と「自分を知る」ことは切り離せないものだと。
私にとってのアートは、「自分を知り」、「私が私になるためのプロセス」を進めてくれるもの。自分と深くつながり、人と共感し合うためのもの。
古い歴史を持つ民族は、「人は歌うことをやめ、踊ることをやめ、物語を語らず、沈黙の時間を持つことを止めるとき、魂を失う」と言います。魂にとって、歌や踊り、物語などがいかに大切かを物語っています。
私たちが思っている以上に、アートは生きる力を与えてくれる。そして魂にとってアートは必要不可欠のようです。なぜならアート表現によって、わたしたちは自分の魂と繋がることができるから。
ところが表現アートでいろいろな表現をしてみると、その表現が上手下手に関わらず、自分から出てきた表現なので愛おしく感じます。
そして自分の中の真実(光であろうと闇であろうと)を表現したものなので、その作品が、自分の分身であり、気づきのあかし(証)に思えます。自分と関わり、自分と対話したことで、前より「生き生き」と人生が活性化する実感を持っています。
私にとって「アートは、自分と繋がって、内面を外に表し、その結果生き生きする」、これでよいのだと思いました。芸術家という職業はまた別ものと思いますが、素人であっても表現することで生きる意味を感じ、自分について知り、「自分が自分になっていく」道を歩めるんだな、と納得しています。
大学の教員として私が担当したゼミは「自分が自分になるとは」です。自分を知り、自分と向き合い、自分の種があるとしたら、それが成長してその植物になる、花が開花するような、「自分になる」プロセスとはどんなものなのか。時には立ち止まり、時には後戻りしながら、必要な養分を得て、必要な体験を積んでいきながら、やはり種は成長して、前進し、種が持つ可能性を開花させたいと思っている。
アーティストは言います。「アート」と「自分を知る」ことは切り離せないものだと。
私にとってのアートは、「自分を知り」、「私が私になるためのプロセス」を進めてくれるもの。自分と深くつながり、人と共感し合うためのもの。
古い歴史を持つ民族は、「人は歌うことをやめ、踊ることをやめ、物語を語らず、沈黙の時間を持つことを止めるとき、魂を失う」と言います。魂にとって、歌や踊り、物語などがいかに大切かを物語っています。
私たちが思っている以上に、アートは生きる力を与えてくれる。そして魂にとってアートは必要不可欠のようです。なぜならアート表現によって、わたしたちは自分の魂と繋がることができるから。