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勉強はなぜするのか?

専任アドバイザー

山内 元

勉強はなぜするのか?

「道具」というのは、人間の生活を豊かにするために生み出される。
古来、いくつもの道具が生み出され、時代の変化と共にその役割を終え消えていった。
同時に、新しい道具が生み出され、僕たちの生活になくてはならないものになる。

「ナイフ」のようにずっと残る道具もあれば
「携帯電話」「パソコン」のように最近出てきた道具もある。

人間の生活を豊かにするために生み出されたわけだから、当然正しく使えば、僕らの人生を豊かにしてくれる。
それは疑いようのない事実。

しかし、誤った使い方をすると必ず同じ結果をもたらす。

それは「人を傷つける」という結果。

すべての道具は、万能ではないのだ。
だから、道具を使うときには、自分の使い方が「人を傷つける使い方になっていないかどうか」ということを常に考えなければならない。

大人が子供に無条件で「携帯電話」や「パソコン」を渡さないのも、包丁やナイフといったものを、小さい子供の手の届かないところに置いておくのもそのことを知っているからだろう。

「勉強」という道具について考えてみる。

僕は「勉強」も人生を豊かにしてくれる一つの道具だと考えている。

だから「勉強はしないよりはしておいた方がいい」という考え方には賛成できない。
間違った使い方をしたときには「人を傷つける結果になる」という意味では勉強という道具も他のすべての道具と同じだからだ。そして、多くの場合、傷つく人は「自分」だ。
現にそれに気づかずに、幼い頃から勉強という道具を間違った方法で使い続け、自分を傷つけ続けてしまった人がたくさんいるような気がする。

「ナイフ」や「パソコン」といった道具を子供に持たせるときには「こういう使い方しちゃダメよ!」としつこいほど言い聞かせる親も、「勉強」という道具を子供に持たせるときには、無条件で「いいものだからどんな使い方でもいいから使っておきなさい」という渡し方をする。
僕は間違っていると思う。
間違った使い方しかできないのであれば、勉強という道具を使わない方がいい。なぜならそれによって傷つくのは自分だからだ。

「勉強はできるけど、あいさつができない」「勉強はできないけど、あいさつはできる」
当然、幸せな人生を送るのは後者である。

もちろん僕は「勉強」という道具はとても素晴らし道具だから、すべての人に使って自分を磨いてほしいと思っている。
間違った使い方をしたら危険だから、道具そのものが悪いというのは間違っている。
だから、勉強や受験そのものを悪者のようにいう意見にも賛成できない。
大切なのは、「何のためにその道具を使えばいいのか」「どういう使い方をしてはいけないのか」
ということをしっかりとその道具を手渡す前に伝えてあげること。

大切なのは、渡す人と使う人の「心の”在り方”」ということなのです。